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雷に打たれて。 増田貴久のソロ「Thunder 」から考えること

  

 

 神ではなかった。その身に神を降ろしている姿を、私は神だと信じ、崇めていた。その男は立ち上がって神の不在を宣言し、自分は人間だと叫んだ。振り返った彼は、自らを神として描いた絵を勢いよく破り捨てた。隠されていた窓から、雨上がりの光が射した。

 

 そんな感じだった。NEWSの最新アルバム「EPCOTIA」の中で増田貴久が歌ったソロ曲、「Thunder」の話だ。

 とか書くとなんかかっこつくけど、正直結構な勢いで殴ったなって思った。はちゃめちゃに痛かった。

 

 私は、歌って踊る増田さんを見ると、その身が放つあまりの圧に、毎回新鮮に「神がいる」と感じて感謝するタイプのファンだ。その瞳に、繊細な指先に、一瞬の重心のかけ方に、関節の角度に、全身が纏う空気に、どうしようもなく心揺さぶられる。踊るために一歩踏み出した瞬間、その声が空気を震わせた瞬間、全てが変わる。世間で知られる「まっすー」の人懐っこい笑顔からは想像もつかないコンサートでの姿は、いったいどれほど一般的に知られているのだろうか。沼に入ってしまった私にはもう分からない。水の中から必死に外の景色を見ようとするようなもので、私は増田さんのファンという視点からしか増田さんを見ることができない。ただ、彼は少なくない数のファンから「帝王」と呼ばれていて、ファンの有り様は宗教みたいだと言われることがある。

 増田さん自身も、そう言った見方を受け入れているように見えていた。むしろ作り上げているようにすら。実家暮らし設定だし、トイレには行きません苺が出ますって言うし、私生活が謎に包まれていて、現実的な部分を上手くはぐらかしながら、現実と虚構の間を泳ぎながら、人懐っこいようで距離を保つ、偶像のように見えた。偶像としてのアイドルに対するこの感情は、確かに宗教に近いのかもしれない。

 “Live in someone’s dream pretending to be someone real?”
No! My life is MY LIFE!!!

見くびるな 自分で支配するんだ

“Hurting under smiles and loosing identity?”

No… 哀れむな いちいち フラついてられないんだ

 歌詞を見て震えた。見くびるな、哀れむなという言葉にハッとした。作詞ではないけど、景色を伝え意見を出しながら作ったとは聞いている。これは本人の感情なんだろうか。分からない。作詞は本人ではない。Ryoheiさんに色々と伝えて作ったとは言え、どこまでが増田さんの感情なのか分からない。

 個人的なことだけれど、結婚して2月の頭で丸3年になった。子どもはいない。子供第一主義みたいな時期はあったけど、今は正直どっちの人生でも幸せになれそうだと思っている。それでもたまに、何か多分その人にとって都合のいいように、お察しされて、哀れまれる。私の感情は私のものなのに。時々、人は人を不幸にしたがる。それがとても嫌だったはずなのに、私はアイドルにその視線を向けていなかったか。勝手に察したつもりになっていなかったか、こっちが勝手に作り上げた姿に縛ろうとしていなかったか、縛った気になっていなかったか。反省することは山ほどある。 

 

 

 「神降ろし」という言葉がある。「神の託宣を聞くために、巫女がわが身に神霊を乗り移らせること」を言う。

 表現者を見る時、その身に何かが降りているようだと思うことがある。歌手や、演者が、その世界に入り込んで、登場人物に深く深く同化している時、まるで何かを憑依させているようだと思う。その様は、「神降ろし」のようだ。神を降ろしている間、その人は神として扱われる。でも実際に「神降ろし」をしているのは、「人」だ。神が降りてくるその身体は、心は、紛れも無く人のものだ。同じ血が通っていて、同じように感情を持ち、挫け、笑い、泣き、いずれ同じように死んでいく、自分と同じ人だ。

「増田さん≒神」でありながら「増田貴久≠神」であることを、私は正しく理解していただろうか。彼の声から広がる風景や、纏う空気や、その踊る姿に魅了されて、いつしか無意識のうちに増田貴久そのものを神だと思い込んでいなかったか。 

増田さんは、人だ。

増田さんだけじゃない、小山さんも、加藤さんも、手越さんも、人だ。

アイドルは、人だ。

 

I feel and bleed like you...
I smile and cry like you...
I'm just a man like you...

 

 「Thunder」を聴く時、どうしてもここのところの色んなことが思い出される。

 去年から続く様々な出来事の中で傷ついたファンの鎧は、まだ傷ついたままなんだろうなと思うことがある。あと一突きで割れてしまう鎧をまとってなんとか立っているような人も、まだまだいる。特に否定的な意見をどこまで言うのかという部分に関して、およそ1年経った今でもファンはとてもナイーブで、むしろ今の方が敏感で、否定的なことを言うことへのためらいが拡大して、好き嫌いを言うことすらままならないように見える。否定に対する過剰反応があって、それが自分の意見を言うこと、聞くことに対する抵抗にまで飛び火している。一方で好きしか言わないことに対する拒否感も生まれていて、集団は無意識にバランスを取ろうとするとはこのことかと思い知らされる。何もなければただの意見として聞き流せるものが流せなくなったのは、それによって大切に思う人達が傷ついたのをこの目で見てしまったからだと思う。きっと、全員が少しずつ我慢をして、忘れたふりをして、そのうち本当に忘れていくのを待つしか無い。でもそれができなくて、言葉や行動は攻撃性を増す。好きなもののことを考えて、自分が好きなように好きなものと向き合って、意見が合ったらハイタッチぐらいが心地よかったはずなのに。

 強い言葉で敵意をぶつけ続ける人を見ながら、体育祭で無計画な10段のピラミッドを作る映像を見ながら、何かをきっかけに追い込まれ続ける芸能人や政治家を見ながら、長時間労働の末に泥のように眠る旦那を見ながら、ずっと怖い。ずっと心がざわざわしている。気づいてないの?気づかないふりしてるの?それ、人死ぬよ。ゆるく、静かに、人を殺してるよ。あなたの正義は誰かの命より大事なことなの?って思ってる。ずっと。

人は人を殺せる。精神的にも、肉体的にも、社会的にも。

私たちはアイドルを殺せる。私たちは人で、アイドルも人だから。 

吹き荒ぶ嵐のような言葉から身を守る傘は、実は案外脆い。

 

 

Am I still your star? 

Stil your charisma?

Am I your hope?

Still your hero?

Am I still your dream?

Still your glory?

Am I still your faith?

Still your fantasy?

  

 アイドルの見せる夢って、いったい何なんだろうか。

 最近、映画「The Greatest Showman」を観て、ハマりこんでサントラをぎゃんぎゃんに聴きこんでいたんだけど、もしかしたら私がアイドルから感じる夢には2種類あるのではないかと、ふっと思った。

 1つ目の夢は、非現実世界としての夢だ。イメージとしては、目を閉じてみる夢に近い。コンサートや舞台には夢がある。それは完全にファンタジーだ。現実から離れて、あっと驚くことが次々に起きて、音や光に圧倒される魔法の空間。演者の素性や、生い立ちや、そういったものには左右されない、どれだけ人を感動させたか、幸せにさせたかという部分だけが評価される。その夢の在り方は劇中歌の"THE GREATEST SHOW"に近い。”Show must go on.”幕が上がっている限りそこは全てが夢の舞台だ。ジャニーズのコンサートを思い返す時、”The noblest art is that of making others happy.(最も崇高な芸術とは人を幸せにすることだ)”という言葉がぐっと実感をもつ。

 もう1つの夢は、とても現実的な人の形をしている。願い、目標としての夢だ。増田さんが装苑で連載を持つと知ったとき、手越さんがサッカーの仕事を得た時、小山さんがキャスターとしてパラリンピックに携わった時、加藤さんが新しい連載を持つと知った時、私はそこに夢があると感じる。誰かが努力をして、その努力が評価されて次に繋がった時、私はそこに夢があると感じる。夢を見続ける環境が守られていることや、真摯に追い続ける姿に夢を感じる。人が幸せそうに人生を楽しんでいると、人生捨てたもんじゃないなと思う。この夢の形は、人に依存する。"THIS IS ME"で震える部分と似ている。

 きっとこの2つは共存する。

 だから増田さんが増田貴久にもっともっと近づいても、作り上げてきた「まっすー」が少しずつ影を潜めても、私はコンサートで見る彼の姿には神を感じるし、コンサート会場はファンタジーだと思うし、努力する姿に夢を感じると思う。

 

 

 NEWSを知って2年。まだたった2年だけど、増田さんの声はいつも優しかった。優しいばかりを聴いていたからこそ、「Thunder」がめちゃくちゃにクる。

 増田さんが増田貴久としての感情を伝えるために、何か自分の気持ちを訴えるために歌を歌うところを、私はあまり見ていない気がする。「テゴマスのまほう」の「さくらガール」は、歌詞に引っ張られて留めておきたかった感情が意図せず決壊しているように思えたし、「くしゃみ」も登場人物と深く深く同一化しているようだった。唯一「NEVERLAND」の「U R not alone」は、がっつり増田貴久が歌ってる!って思ったかな。いつも、歌ありき歌詞ありきで、その世界の景色にハマるように歌っているように思えていた。もちろんそれは彼の感性や今までの経験から、どれだけその歌を想像して咀嚼できるかという部分に支えられて生まれたものだから、増田貴久の歌であることには変わりないんだけど、個人的な主義主張はあまり感じなかったし、歌じゃない場面で自分の気持ちを伝える時も、その感情がやわらかいものではなくて強い感情であればあるほど、上手にふわふわした肌触りのいいもので包んで両手でそっと手渡してくれるような印象だった。 

 だから、歌を武器としてその手に取ったことにすごく驚いた。もともとRapを聴く人だし、ファッション関係でも歴史まで知ろうとしている様子を考えると、反体制とか、主義主張を伝えるための音楽の存在はあったんじゃないかと思う。増田さんがあくまでも歌と声で何かに攻撃しようとしたことに、最強だよ!最高にかっこいいよ!!と、言いたい。

 EPCOTIAのコンサートでどんな景色を見せてくれるのか、怖いけどとても楽しみにしている。

 

 

 

 偶然か必然か「Thunder」は日本語で「雷」、「神鳴り」が語源だ。歌の中で自らを人としながら、それでも彼の声は神鳴りのように響く。

 雨が上がったその先に、再び虹がかかることを私は願う。

 

 

 

 

 

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