世界で一番平和なところ

NEWSをすきになりました

わたしは「いいファン」になりたかった。

 

 

 先週半ばからの毎日が怒涛過ぎて正直記憶がない。

 毎日朝起きて、ごはんとお弁当を作り、旦那を送り出した後でTwitterを開く。友人に連絡をする。自分も軽くごはんを済ませたら、洗濯物を回して、新聞を読んで、洗濯物を干して、掃除を一通り済ませ、これから揃えていきたいインテリアのカタログや、ベランダで栽培できそうな花や野菜の情報を漁る。引っ越し後は荷物がたくさん届くから、家にいる時間が長い。いつも通りの毎日を過ごしている痕跡は確かに残っているのに、頭の中はぐじゃぐじゃだ。不安になるとまたTwitterを開き、何にもないことを確認して、生活に戻る。

 

 6月6日の夕方、キッチンで晩御飯を考えていた時に第一報を知った。

どうやって把握したのか覚えていない。いいねで流れてきたのか、トレンドで見たのか、SNSの情報は速い。「未成年」「強制飲酒」の単語で、ああこれは…と思った。事務所のコメントが載っているのも確認して、この先何もないことは無いなと最善と最悪の予測を立てた。こんなに身体が冷えたのは去年手越さんの写真を見た瞬間以来だ。

 熱愛報道や豪遊の報道は、ショックを受けないと言ったら嘘になるけれど、自分の中ではそれほど重要な情報ではない。人を好きになって恋愛をすることは罪ではないし、自分が稼いだお金で遊んでも咎められる筋合いなどない。熱愛によってイメージが落ちて売上が激減してクオリティが下がったら、流石に消費者として不利益を被るので残念には思うだろうけれど、ファンとしては4人が笑顔で楽しそうにその時にできる最高のパフォーマンスをしてくれるのが一番大事だ。アイドルであることに誇りをもって、その瞬間を楽しんで、どうだ見てみろと言わんばかりに歌って踊る姿を見るのが好きだ。

 だから、罪に問われるようなことをせず、健康に気を付けて、笑顔でステージに立ち続けてもらえればそれでいいと思っていた。個人的には見て楽しむ分には人格的に難ありでも作品がよければいいと思う。だけど、「作品と人格は関係ない」は通用しない時勢なのかもしれない。もちろん作り手側が言っちゃうとそれは甘えでしかないけど…。きっと気になる人はどうしても気になるだろうし、そのスタンスも尊重されるべきものだ。SNSが発達した今、情報を手に入れるのは思っている以上に容易く、見たくなかったものまで見えてしまうこともある。あ~あ、生きづらいな。

 

「ジャニーズ」というブランドが何なのかを考えた時、もちろん圧巻のステージがベースにあるんだけれど、もしかしたら〈年頃の女の子が〉〈その性や生命に危害が及ぶことなく〉恋心を向ける対象であることも価値のひとつなんじゃないかと思ったりしている。どの方向から考えても、生命に関わりうる強制飲酒を、成人の保護下にある未成年に対して行ったことは、逃れようもなくアウトだと思う。相手の素性なんて関係ない。判断材料は年齢と、強制飲酒だけで十分だ。若気の至りで未成年のうちから飲むことだって実際どうなのかというとグレーゾーンだし、15歳前後からアルコールを飲めるようになる国だってあるし、それこそこれから「成人」の定義が変わってきたら孫とかに20歳まで飲めないとか意味わかんないって言われる時が来るかもしれないし、そんなの分かんないけど、とにかく今のルールではダメなんだ。

 ジャニオタなら擁護するとか言ってる意見も聞いたけど、何言ってんだ?と思う。ジャニオタである前に一人の人間だわ。30年近く現実社会でルールに則って生きてるんだわ。ダメなことがダメなことくらい分かってるわ。分かってるからこそ、なんで?って思うし、今まで見てきた彼らの真摯な姿や笑顔を思い出して、落胆したり、腹が立ったりしてるんだ。それでも好きだから、またその笑顔が見たいから、どういう形で戻ってこられるのかは分からないけど、その選択肢を増やせるものなら増やしたくて応援しているんだよ。

 ただ、私刑は禁止だ。裁くのはファンである私の役割ではない。処分は法律*1と事務所と仕事先が決めるものだ。グループの形だって、ファンが決めることじゃない。本人達と事務所が決めることだ。いつだってファンにできることは、与えられたものを受け入れるか受け入れないかの判断をすることと、楽しめる範囲で楽しむことだけだと、私は思っている。アイドルとファンの関係は基本的に一方向だ。一方向だから、たまに心が通った瞬間がとてつもなく嬉しくて、奇跡みたいな宝物になるんじゃないのか。

 

 

 はぁ、つらい。切ない。ちょっとは恨み言の一つも言わせてほしい。

 

 ファン同士で飲み会する時、相手に年齢聞くの、なんでだと思う?グッズを身に着けて外を歩く時、周りの迷惑になってないか気を付けるの、なんでだと思う?NEWSが大事だからだよ。NEWSの作品が好きだから、自分の行いで不利益が及んでしまわないように気を付けるの。だって自分のせいでNEWSを見れなくなるのは嫌だもん。こんなに考えてるのにどうしてって言いたい訳じゃない。分かってる。最終的には自分のためだ。ライブが好きだ、歌が好きだ、NEWSを好きなことで繋がった友人たちが好きだ。東京に行きたい。私は自分の楽しみのために、NEWSを守りたいと思ってきたんだ。自分の楽しみのために、大きくなってほしいと思ってきたんだ。

 私は、4人が「個人の仕事はグループのため」って何度も言ってたのを知ってる。慶ちゃんがライブにより多くのファンを入れるために毎年毎年春に何十連勤もしてくれていたことを知ってる。そんなに大変な中でも毎日きちんと報道番組に出続けていたことを知ってる。シゲが(実は中身5人くらいいるんじゃないか…)って言われるくらい働きまくっていて、そんな中でもライブをよりよくするために真夜中まで修正作業をしていたことを知ってる。今年の夏はドラマをいただいてるから趣味のマグロは難しいかもって嬉しそうに言ってたことを知ってる。

  NEWSもNEWSのことが好きだと思ってたよ。誰かのためじゃなくて自分のために守りたいと思ってくれていると思ってた。今でも思っている。だから早く会いたい。4人の元気な顔がみたい。どうか身体を労わってほしい。

 

 あ~~~~~!

 いやマジでつば九郎にいじられるためにファンやってんじゃないんだわ!!!笑ったし最高に面白かったけど!ファミチキにするぞの返しも最高だなと思ったけど!(ちょっと今くらいセブ〇イレブンじゃないのかよって思ったけど)チャンカパーナ流して踊ってくれてありがとう!

 

 

 

 

 

 

 今回の件、自分自身のファンとしての在り方も悪かったんじゃないかと考えている。ただのファンの1人がそんなに力を持ってるわけないけど、なんとなく。

 

 去年の一件から、愚痴垢・本音垢と呼ばれる界隈が巨大化していることを、私は把握していた。今やどこのグループにも一定数いるのだろうとは思うけれど、なかなかにいる。この2週間でまた増えていることも知っている。燻り続けているのを、増え続けていることを、ずっと見て見ぬふりをしていた。そして今回、その界隈から混乱は広まっていった。各報道の中にのる声は、その人たちの言葉が多い。もしかしたら自分の言葉やふるまいに、愚痴垢を生み出すきっかけがあったんじゃないかと、反省しなくちゃいけないなと思うことがある。

 

 私はSNSでマイナスの意見を言うことが得意ではない。本当に改善が必要だと思ったら直接意見が届くところに建設的な改善案を添えて一報入れるだけでいいのかなと思ったし、あんまり好きじゃなかったら見なきゃいいと思っていた。本当につらくて一人で抱え込めなくなってしまったら、友人に頼んで話を聞いてもらえばいいと思っていた。だからどうしてもプラスの発言が多くなる。「いいね」がつくのがうれしいみたいな、承認欲求を満たしたいみたいな感情も、きっとどこかにあった。

 

「いいファン」になりたかった。

 

 そんなこんなしていたら、私はこの春この感情につぶされかけた。そして、 もしかしたらこの感情に今の歪みの発端があるのかも知れないと考えた。「彼女」って呼ばないで、そんな綺麗な人間じゃない、そんなに正しいファンにはなれないと思って、突然に苦しくなった。実際に自分のことを「彼女」だなんて思ってないけれど、自分勝手にアイドルを消費している自分の姿が大きな欲望の塊みたいに思えて、気持ち悪くなってしまった。理想と現実のギャップに死んだというか、消費者である自分の汚さや自分勝手さをまざまざと見せつけられて、それと並行でNEWSのコンセプチュアルな作品を褒める自分が共存できなくなっていた。「いいファン」でいられないかもしれないことは、恐怖だった。そんなファンいらないって、言われちゃうかもしれない。俺たちの思うように反応してくれなければ、好きじゃない。そう言われてしまうんじゃないかと、怖かった。そのままを受け止めてほしいと言われていた、でも、こちらのそのままを受け止めてもらえるとは、思えなかった。きっとその形は、健康的ではなかった。

 幸いにもNEWSファンになってからの2年弱で、意見が違っても私自身を嫌わないでいてくれるだろうと思える友人ができていた。だからこの感情を、正直にこう思っちゃったんだけど…と話すことができた。話を聞いてもらってソフトランディングした私の気持ちは、アプリもライブも楽しめるところに落ち着いた。でも、もし、聞いてくれる友人がいなかったら、私はどうなっていたんだろう。私のしんどい気持ちは、一体どこに行っていたんだろう。自分の中で膨れ上がって離れるか、愚痴垢を作って吐き出していたかもしれない。不安な気持ちを払拭してくれるのは、根拠のある事実よりも、無条件の承認や同調だ。誰かに話す、聞いてもらうという行為だ。わかるよ、つらいよね、話を聞くよ、全部は理解できないかも知れないけど聞くよ、そう言い合えたら、何か変わっていたのかもしれない。自分がなっていたかもしれないし、TLにいる誰かが、もしかしたら今でも、垢を棲み分けているかもしれない。もしそうだったら、その子じゃなくて、聞けなかった自分を責めたい。

 今回の件でお題箱に集まった意見の中には、実は愚痴垢を持っているのだけど、という意見もあった。その人じゃなくても、すぐには受け止められない自分はファン失格なんじゃないかと思い悩んでいる人もいた。そんなわけない。会員になるのに楽しみ方の制限も好きの形も問われなかったよ、私は。多様な好きの形を認める時代でもある、「正しい」ファンを決めることは何かを狭めてしまうんじゃないかと思った。自分の責任で、自分の意志で、自分の好きなものを楽しみたい。他の人の中に自分の好きの形は無い。多数派の好きの中にも無い。無かった。そりゃあそうだ。自分の好きを大事にすれば、相手の好きも尊重できる?

 かつて私が発した「私のTLは平和」という言葉は、マイナスの意見を言いづらい土壌を作っていたかもしれない。褒めるようでいて、その言葉は他人の行動を制限するものだったのかもしれない。受け取るだけの余裕がなくて排除したマイナスの気持ち達が、いつの間にか集まって、自分のもとに帰ってきたのかもしれない。 法的にやってはいけないことや人間としてやってはいけないことをすることと、マイナスの意見を自分の意見として発信することは、一緒ではないはず。愚痴垢を作らずとも、表で言えばいい話だ。だけど、言いにくい雰囲気があるのもわかる。どうしたらいいんだろう。どうすればよかったんだろう。

集団の歪みは必ず一番弱いところに現れる。表で「正義」になれなかった言葉や感情たちが、自分たちが「正義」になれる場所を求めてさまよった結果、裏に集結して集団となり、「正義」の仮面を纏って絶対に反論できないアイドルという対象に向かった。アイドルを守りたい表の「正義」は、再び自分の「正義」をもって裏を叩き、見事なサイクルが出来上がった。そう見える。

 

「いいファン」になりたかった。

 

 どんな時も正しい、望まれる姿のファンになりたかった。根っからのポジティブになりたかった。

 だけど、もしかしたら大事だったのは「正しさ」よりも「楽しさ」だったのかなと、ぼんやりと思っている。

アイドルを応援するって楽しいんだよ。ライブって楽しいの。NEWSはいつも新しい景色を見せてくれて、心が震えるの。

純粋な「楽しい」だけに立ち返りたい。変態は世界を救うんだ。生命と変態の前では平等なんだ。私は4人が好きなんだ。ダメダメになっても、今回の影響で仕事が少なくなったとしても、そこから一緒に頑張るって決めたんだ。

 それでいい、それだけでいい。

 だからしっかり処分された後に、反省した後に、また一緒に楽しい時間が過ごせますように。

 

 

 

 

 

*1:未成年だと把握していないのであれば、法律よって裁かれることではないと把握しているけれど。