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「madoromi」から思い浮かぶこと

 

  久しぶりに、ああもうこれは今日ブログを書かないと死んじゃうかもしれない、と思ってPCを開きました。今この気持ちを書かないとだめだ、このままじゃ寝られやしない。もはやPCの打ち込みの時間すら苛立たしい、脳みそがまるっとこのまま画面に転写されてくれればいいのに、と思いながらキーボードを叩いています。

 明日(というか今日)からEPCOTIAの夜に、何をやってんだろうと思うけど、だめです~!

 思い返してみると、こんなにカラカラに乾いたような感情でブログを書くのなんて久しぶりで、秋に今の仕事について以降アウトプットが多くなった分ブログからも遠ざかっていました。もともとブログの下書きがあるほうでは無くて(増田さんに熱愛が発覚した時に自分を落ち着かせるための記事がひとつだけある)、ふとした瞬間に「これが書きたい!」って思いついては一気に書き上げるという何とも計画性のない書き方をしていたので、ゆとりと言えば言葉はいいものの、つまりは暇な時間がなくなってたんだろうなと思います。そういえば、つい先日テレビで「デフォルトモードネットワーク」が紹介されていて、そうそうこれこれと膝を打ちました。脳のひらめきは何にも考えないぼーっとした時にうまれるそうで、例えば散歩とかがこの一種なのだとか。瞑想でもいいって言うけど目を瞑ると寝ちゃうしなあと思いつつ、温かくなってきたし緑が生き生きしてて気持ちいいし、お外をのんびり歩きたいなぁなんて思いました。

 

 

 で、です。

 なにが書きたいって「madoromi」のことなんです。

 もう何人もの方が考察されていますし、今さら私が思い巡らせなくてもいいんじゃないか、今から私自身の解釈(というか言葉になりきらない部分が多すぎてイメージって感じ)を書かなくてもいいんじゃないか、「書かなくてもいい」と言うよりはむしろ「書かないほうがいい」なんじゃないかと思っていたのですが、今日偶然ふっと検索した動画を見たら、自分の中で「madoromi」が膨らんで膨らんで大きくなってあふれ出てきてしまって、留めておけないので少しだけここに置こうと決めました。

 あと、ツアーが始まったらこっちからネタバレを踏みに行きたいタイプなので、その前に!という気持ちもあります。こっちの方が切実!文脈とか考えずに浮かんだままメモ代わりにぽんぽん書いていくので読みづらいしなんかもう結ぶのは任せた!って感じで書いてしまって申し訳ないです、ほんととりあえず吐き出したくて書いてて!今!

 

 

 

 はじめて聴いた時、この曲は「くしゃみ」系かな?と思いました。あとは去年の夏に加藤さんがMCをした「いのちのうた」で南こうせつさんが歌っていた「あの人の手紙」とか。 窓辺のテーブルにうつぶせて眠る女性と、奥に立つ白い服の男性。たぶん裸足。朝の光で足元からぼんやりと消えていく男性が、まだ夢うつつの女性に愛おしそうに別れを告げる、そう言う場面の印象でした。2番目ではセピアとかモノクロのアルバムがさらさらと捲れて徐々にカラーになっていく感じ。ちょっぴり結婚式のムービーみたいな。亡くなっちゃったのかな、同じ世界で住んでいた2人が離れ離れになる歌なのかな。はあ…かなしいやつだ……なんてことだ…ってなったりして。

 

って考えてると、だんだんKacoさんがどんな人なのか気になってきます。他にどんな歌歌うのかな、とか、Kacoさんの声はどんな声なのかな、とか、出身地、とか。

Kaco Official Site

1993年生まれなんですね、1993年生まれっていったい何歳なんだろう??わかんないな(計算しろ)。

そこからKacoさんのアルバムである「身じたく」を聴いてみたらハマって、1月はほとんど聴き続けてた気がします。

「クリームソーダ」の女の子めっちゃかわいいし、全体的に彩り豊かな感じで、「スレートグレー*1」の感じとかもう、ぎゅってなっちゃって! お別れというか、昔のお別れを思い出してる歌で、もう全体的にしんどい。

夜に向かう途中のあおの中で あなたともう一度 キスをしたい 

忘れたはずの 記憶をはらうのは これで何度目だろう

失いたくない ものに限って どこへ行ったの

終わった今でも 抱きしめてしまう

遠くで手を振る あの日々を 

 

 

 

 愛媛県八幡浜市。 

 Kacoさんの出身地です。

 最初に話した動画というのが、この八幡浜の港から出港する船の動画なんです。

 出身地だけで人が決まるわけじゃないけど、その空気とか見てた景色ってなんかどっか作るものに影響するとは思うんですよね。ちょっと個人的にも縁ある土地で、びっくり。

 愛媛県のこの地方の海岸はリアス式海岸で、港を支えるような格好で低い山が連なっています。西日本の温暖な気候の山には広葉樹が多く、特に八幡浜市の海岸沿いは温州みかんの段々畑が広がり、秋が深まるにつれて色づいたみかんが点々と山を彩ります。地平線を見れば内海の穏やかな海と空が霞の中で溶け、緑の小さな島が点在し、九州と四国を結ぶフェリーが朝早く汽笛を鳴らして出航する。そんな土地です。近く(って言っても少し距離はあるけど、まぁなんとなく大体近く)にはJRの青春18きっぷのポスターで有名な予讃線の下灘駅があります。

 流石に船は絶対にこのフェリーだ〜!なんてことを言うつもりはありませんが、なんとなくイメージが近くって。朝靄と、山側から射す朝陽と、空を映す海と、旅立つ船。 

 


「セレナと旅写真」夜明けの港IN八幡浜港

 


「セレナと旅写真」17/09/29 八幡浜港朝の風景

 

 

 「madoromi」の船ってなんなんでしょうね~。風に吹かれていく船って帆がある船?それとも飛行船のような船?客船、ノアの箱舟、三途の河の渡し船?EPCOTIAの宇宙旅行の中での船っていうと、昔やった「大神絶景版」の箱舟ヤマトとか思い出すんですけど、そういえば、すてきな宇宙船地球号、とかもあったなぁなんて。地球自体が船とされることもある。EPCOTIAの中のTWINKLE STARでは「二人泳いだ空」って言っていたり、空は海になったり、あっちこっちしてたら、そうか船は別れでもあるけど旅立ちでもあるし、さよならだけど新しい土地への前向きな感情もあるのかな、とか思い始めて。まとまりません、あまりまとめる気持ちもないんですけど。 

 

 ふわふわ思っていたことも一緒に残しておこうと思います。あとからふるさんの考察ブログ読みながらふっとよぎったことも一緒に。

 なぜ、きみと「過ごした」日ではなく「出会えた」日なのか。思っているよりも2人が一緒に過ごした時間は短いのではないか、それこそ「捲る」ことができるくらいの1ページなのかもしれない。1ページどのくらいか分かんないけど、例えば、コンサートの一瞬、とか。

「幻が醒めてしまうまで せめてグッバイ」「頬を濡らした涙」ということは、もしかして両者ともに意識がある状態での別れということなんじゃないか、距離が離れていく中でお互いに手を振りあう状況なのかも、とか。

「忘れていくことがあっても きみと出会えた日は いつになっても宝物さ」ということは、僕も同じように時を刻んでいるのではないか。生きていく場所が違っただけで、実はそれぞれもう交差することのない世界で生き続けているのではないか、それって1年の中でちょっとだけ同じ時を過ごせるアイドルとなんとなく近いよな~、とか。  

 

 

 

 ちょっとすっきりしました~~~!は~~~~!!

 EPCOTIA、いよいよ宇宙旅行の始まりだ~~~!!!

「madoromi」セトリ入りしてくれますように~~~!

 

 

 

*1:青みがかった暗い灰色で、夜になる一瞬の色