世界で一番平和なところ

NEWSをすきになりました

会いたい人には

 

安室奈美恵さんが引退するらしい。

という速報を聞いても私は冷静だった。なぜなら安室ちゃんの熱心なファンではないからだ。もちろんショックだったけれど、こんな時だけすごく悲しむのは、自分とは比にならないほどの情熱を傾けてきたファンの方になんだか悪い気もした。安室ちゃんのCDを購入したことはない。それでも、引退発表以降の特集でテレビから流れてくる曲はどれも知っていたし、気がつけば自然と口ずさんでいて、歌詞を覚えている自分に驚いた。確か小学校高学年くらいだったと思うけれど、バーバリー風スカートも持っていたし、厚底ブーツも履いた。さすがに細眉はしなかった。眉毛多かったから。タトゥーブレスを今年見かけて懐かしかったのは昔つけていたからだった。平成元年生まれの私は、紛れもなく彼女の生み出した流行の中で育ってきた一人だったのだ。現に今このブログに於いて一回り年上の有名な歌手のことを無意識に「安室ちゃん」と「ちゃん付け」で呼んでいるわけで、よくよく考えてみればそれも実はすごいことなんだと思う。

さて、偶然にも「安室ちゃんと言えばイモト」のイモトアヤコさんと、自分が応援しているNEWSの手越さんが一緒にイッテQでレギュラーをしている関係で、引退発表以降安室ちゃんに対するイモトさんの「好き」の感情が爆発している姿を何度も目にすることになった。ある時は会える嬉しさに狂喜乱舞し、ある時は会えない辛さに涙する。対象は違えど私はその姿をよく知っている。自分でもあり、大切な友人たちの姿でもある。辛いな、と、改めて思った。

 

オタクの先輩が口々に言う。

 

「会いたい人には会えるうちに会っておけ」

 

今年に入ってから、この言葉と行き合うのはこれでいったい何度目になるのだろうか。

 

「会いたい人には会えるうちに会っておけ」

 

NEWSのファンになってから、こっそり見ているJr.の子がいた。まだ「応援」とは言えなかった。WhiteのSuperSONICで両手の掌を眺めながら掲げていく表情が目にとまったのが始まりだった。あまり大勢の中から特定の人を見つけるのが得意ではないのに、不思議と動いている彼だけは見つけられた。本当に不思議な感覚だった。特別に顔が好みというわけでもなければ、体型が好みというわけではない。ダンスはキレッキレだけど、やっぱり増田さんの緩急と指の先まで余すところなく増田さんだと思わせる艶のあるダンスが好き。なのに、なぜか、踊り始めると彼ばかりを見てしまう。彼が踊ると目がいく。QUARTETTOでは顔が映る回数も増えた。何よりLIS'Nの増田さんの後ろで踊っているのがうれしかった。ジャケットを大きくバタバタと振って踊る姿。正直増田さんよりも見ていた瞬間があった。

私は彼について何も知らない。ドル誌を読み込むまでの熱量はまだなかった。何が好きなのかも、どうしてジャニーズに入ろうと思ったのかも、どんな性格なのかも知らない。単純に目を惹く。舞台の上だけの勝負だった。彼の身体と表現力だけの勝負。私はそれがかっこいいなと思った。

川口優くん。

3月末に20歳を迎えたはずだった。NEVERLANDツアーへの参戦が決まった時に、ついに踊る姿が見られるのだとわくわくしていた。しかし、ツアーが始まって、去年とほとんどJr.変わんないよいつものメンバーだよと流れてきた名前の中に、彼の名前は無かった。「ほとんど変わらない」なんてことない。私にとってはとても大きな違いだった。Dance SQUAREでNEVERLANDについてJr.が対談している記事を読んだ時も、もし今年退所しないでいたら、この対談の一人になっていたかもしれないという気持ちが湧き出てきて、どうしようもなくさみしかった。

彼が他の所属で世間に出ていることを知ったのは最近のことだ。表現の場があることが素直にうれしい。頑張ってほしい。だけど、NEVERLANDの一員になった彼を見たかった。その気持ちが燻り続けている。ぽんぽんで形を作って欲しかった。NEWSやJr.の仲間とわちゃわちゃする姿が見たかった。もう一年早く、コンサートに行きたかった。

まだ、折り合いがつかない。

 

「会いたい人には会えるうちに会っておけ」 

 

「会わせておけ、お前が今一番動けるだろう、後悔させるな」と父は言った。分かっとるわ!と内心思いながら「そうだね」と返した。

隣に眠る旦那を乗せて、オレンジ色に照らされる首都高をトラックやタクシーに抜かされながら何度も走った。都会の運転なんてできない、合流が怖いから運転してほしいと、するりと助手席に乗り込むのが守りたくなるかわいい女性なのかも知れないなあなんて思いながらも、頑なにハンドルを握らせなかった。だから多分私はかわいくない奥さんだと思う。

小説TRIPPER 2017秋号でNEWSの加藤さんが6月に鬼籍に入ったおじい様と彼の家族の話を書いている。「だから会えるうちに会っとけ」という言葉にまた行き合った。「あやめ*1」を聴いた時に心の中で揺れる場所と、その時個人的に直面していた大切な人が大切な人を送るのを見つめている時に揺れる場所が自分の中であまりにも近すぎて、聴くと泣く、見て泣く、思い出しても泣くという最早条件反射のような状態だったことを思い出す。溢れてくるものが止まらなくて、自分の感想をひたすらにブログ(加藤シゲアキのソロ曲「あやめ」の考察にならなかった感想 - 世界で一番平和なところ)に綴った。今回の「できることならスティードで」を読んでの感想は、その時の言葉が全てだと思う。あくまでも「私」が「あやめ」を聞いて思ったことなので、曲を縛る気持ちは一切無い。

コンサートに行けることも、コンサートができることも、何も考えないで楽しめることも。コンサートに限らず、好きな人と話せるのも、友人とお酒を楽しめるのも、ご飯がおいしいのも、季節の移り変わりに気づけるのも。自分と周りの大切な人が生きていて、まずまず健康で、少しの余裕があるから。増田さんがコンサートで必ず言う「こんなにたくさんの人が、同じ時間に同じ場所に」「また変わらず会いにきてください」という聴き慣れた言葉を、私は(まただ…)ってちょっと笑っていたけれど、同じ言葉を言い続けられることが奇跡的だしありがたいことだなって今なら思う。

明日はどうなるかなんて誰にも分からない。

 

「会いたい人には会えるうちに会っておけ」

 

1年だけという区切りで都内に来て、来週で半年になる。折り返し、あと半年。来年の春には関東から離れる。だから会いたい人には会おうと決めて来た。期限が決まっているとどうしても切なさを感じずにはいられないけれど、1年だけだから誰にも会わずに、よりは、1年だから会える人には会って、の方が性に合う。あと半年。人生出逢うべき人には巡り巡ってどこかで出逢うようにできてると思っているけれど、会いたい人には会おうとしないと会えない。引っ越しが多くなってから、私は少しワガママになった。

番協も全然さらさら当たる気配が無いけれど、申し込める環境にいられるありがたさが大きい。ほんとは当たってくれたらもっとうれしいんだけど笑

 

大切な人が明日も生きているか分からない。自分だって明日も生きているか分からない。大切な人が明日も会える距離にいるか分からない。大切な人を大切にできる環境かどうかも分からない。

だから。

 

「会いたい人には会えるうちに会う」

 

 

 

 

 

 

NEVERLAND(通常盤)

NEVERLAND(通常盤)

 

 

 

 

*1:アルバムNEVERLANDに収録された加藤シゲアキ作詞作曲のソロ曲