世界で一番平和なところ

NEWSをすきになりました

加藤シゲアキのソロ曲「あやめ」の考察にならなかった感想

「あやめ」作詞・作曲/加藤シゲアキ NEVERLAND収録ソロ曲

 

わ!これはすごい!!と思った。

わ~~~よくわかんないけど涙でる~~~。すき~~~。でも難しい~~全然わかんない~~~~(涙)。これが初めて聞いた時の感想。
聴くたびに印象が変わっていく。きっと未来の自分があやめを聴いても、今と同じ様には聴けない。一貫性がないと言われたらそこまでかもしれない。それでいいのかもしれない。加藤さんのことを私は理解できない。理解した気になるのも違うかなと思う。加藤さんの作品を、こういうことかな~?違うかな~?と思いめぐらせている時間が楽しいってものでして。見事に手中です、なんてことだい。 

 

「理想郷」「平和」「愛」「多様性」「植物」

クラウド*1 やラジオ*2で示されたキーワード。多様性から「動物」を考えていたけれどメンバーとのバランスも考えて「植物」で膨らませていったそうだ。

 

待ってね、前3つとはもうそのままNEWSじゃん、NEVERLANDが理想郷じゃん!なんて幸せいっぱいな頭で考えてしまう自分は一旦ラリホー。いいかい、君は今日は大人しくしているんだ、わかるね?

 

 

【あやめ】:アヤメ科アヤメ属 山野に生える

【かきつばた】:アヤメ科アヤメ属 水辺に群生する 花びらをちぎってその色素を書付につかったことから「かきつけばな」→「かきつばた」なんだそうだ。

菖蒲はサトイモ科の植物を指す場合もある…。へ~、加藤さんのソロはいつも勉強になるなあ。歌詞の中でも「いずれあやめかかきつばた」って言葉が使われていたように、いずれも優れているから選べないし、順位もつけられないし、見わけも付きにくい。

 

ああ あなたの 歌声を

雨が流してしまっても

幼気に 巡りゆく やわらかな目をして

【いたいけ】 いたい‐け.幼気 [形動] 1.子供などの痛々しく、いじらしいさま 2.幼くてかわいいさま 3.小さくてかわいらしいさま

 「幼気に巡りゆく」って、漢字と前後の言葉の感じにひっぱられて「記憶の中で」的な捉え方をしていたけど、これはなにやら違うぞ。何だか心がきゅっとなる感じ?大きな何かの前にいる?確かに「今だけはキスしてよ」のキスはちゅーじゃなくてごっどぶれすゆーだと思うけど…。


じゃあ、「幼気に巡りゆく」のは何?

理想郷ってなに?平和と愛って何をもっていうの?


聞いてる間ずっと幼少期のことを思い出していて。なんでなのかいまいち分からないけれど、ほんとにずっと幼少期に住んでいた家の記憶が浮かんでは消えて。
傘で弾かれた濃い緑の葉と飛び散る水滴、傘をもつ父の脇に挟まれた黒いセカンドバッグ、ピアノの横の窓から入ってくる雨の匂いと寝転んだ時の畳の匂い、レースのカーテンと窓の間に入ってみた庭の緑、ゴールドクレストの黄緑の針の先が雨上がりにきらきらしているところ、キッチンに立つ母の向こうに見えた斑に湿ったブロック塀、玄関先の濡れた花たち、雨上がりのアスファルトと帰ってくる中学生の自転車の音、増水した川と土手の水たまりと雨に濡れた桜の木、あの日の18時のサイレンと重い雲の間から射し込む夕日。

 

じゃあ、「やわらかな目」をしていたのはいったい誰?


と考えた時に、記憶の中で、一番やわらかな目をしていたのは祖父だった。
祖父は農業の傍ずっと制作をしていた人で、裏山から木を拾ってきては塗装してオブジェを作ったり(竹取の翁か)、ペットボトルで風車を作っては隣近所のに配ったりしていた。祖父の家に登る山道はふもとから風車でいっぱいになっていて、地元紙も取材に来たりしていた。大きめのサングラスをかけ、大きなブローチのついたループタイを付けて軽トラを乗り回すタイプの、よくいるちょっとファンキーな田舎のお年寄りだった。幼いながらも、自然を愛し、愛され、深く繋がっている人だと感じていた。その大きな背中と、ごつごつした手で頭をくしゃくしゃと撫でられた感触、膝に乗せられて見上げた祖父の目尻のしわを思い出した。*3

そして、祖父を亡くした日の父の背中を思い出した。


自分の中の「平和」とか「愛」は幼い頃に家族や自然からもらったものだと考えているようだ。理想的な家族かというとそうでもないし、ほどほどに波乱もあったけれども、どうやらそうらしい。

これ、きっと思い浮かべるものも、人も、規模も一人一人違うんだと思う。

あなたにとっての「平和」は何?「愛」は何?と問いかけてくる。きっと、ぜーんぶ正しくて、ぜーーーんぶ大切。それでいいんじゃない?と、勝手に言われた気になる。そういうの全部ひっくるめて「世界」なんじゃない?それを許容できるのが「理想郷」なんじゃない?

最近、30歳が近づくにつれて、親切とか愛情とかを受け取るばかりでいいのか、次に伝えていかなくていいのか、とか妙に焦りを感じることもあって。昔からの友達にふっと話してみたら、実は私もね、と転職を考えていることを打ち明けられた。27歳、色々と考えるお年頃なのかもしれない。

「世界は心の奥底にある」「世界は光の地図を求める」

そして、私も生きていく。

世界は 光の地図を求める だから僕は生きていく

世界は 光の地図を求める そして僕は生きていく

世界は 心の奥底にある だから僕は生きていく

 

 

加藤さんの歌の変化を書いて終わろうと思う。


NEWSは歌が武器だと言う中で、今年に入って加藤さんの歌が変わった。3月の少年倶楽部プレミアムでメンバーからも言われていたけれど、確実に変わった。

なんとなくだけど、小山さんと手越さんは感情や覚悟を歌う歌。加藤さんと増田さんは風景や物語を歌う歌だと思ってきた。もちろんあくまでも割合的なもので、どちらかにその要素がないという訳ではない。
Twitterでもちらっと話したけれど、増田さんの歌は映画、加藤さんの歌はプラネタリウムだ。

増田さんの歌は、登場人物がいて、物語があって、関係性がある。歌の中に人がいる。人を介してみた世界を歌う。自然光の中で歌ってる感じがする。思い出とか気持ちが揺さぶられる。増田さんの歌を聴いて思い浮かぶ風景は、誰かの背景としての風景だ。だから、増田さんの歌は映画だと思う。

一方で、加藤さんの歌には、ずっと人がいなかった。半円球の閉ざされた空間。現在、過去、未来があって(セラムン出てきたやつ正直に手をあげな)、空間的に広がりがあって、見上げてる感じがあって、でも下にも空間が広がっていて、人は自分しか出てこない、みたいな。全方向に世界がある、在るものはそのまま在る、みたいな。

加藤さんには時をあらわす歌詞がよく似合うと思っていたし、今まで加藤さんのソロに人の存在を感じたことはなかった。「君ならわかるだろう?」と言われた時もそれは一枚薄い布の向こうから投げかけられた言葉だった。加藤さんのソロは、加藤さんの世界の中の出来事として聞いていた。

だから、あやめを聞いていたら突然人が出てきてびっくりした。

 

cause i need u   cause i love u

knock knock open the door

 

扉をたたくのは加藤さんだ。誰かに向けたノックなんだろうけど、扉を開けて解放されたのは加藤さんなのかもしれない、と思った。
増田さんがskye beautifulで何かを解き放ったように、加藤さんにとってあやめは何かの変化なんだろうか。


もうすぐ、加藤さんの30代がはじまる。

 

 

 

*1:月額300円+税でアルバム時期になると加藤さんが大変手間と時間をかけた読み応えのあるライナーノーツをあげてくださるありがたいサイト。払って損はない。

*2:毎週日曜日23時~のSORASHIGEBOOK。月曜日からちゃんと頭を働かせるためのありがたいラジオ FM yokohama

*3:あと、なんとなく、ふっと加藤さんのおじいさまのことを思い出した。いつだかのクラウドで家族みんなが揃った日に眠っちゃったおじいさま。おばあさまのことが大好きなおじいさま。ご健在だろうか。どうかいつまでもお元気でいてほしい。